【石川】初釜彩る「葩餅」
2008年01月09日
≡もてなしの美 茶会の要≡
薄茶席で、お茶がふるまわれる前に干菓子を口にする客人たち=金沢市池田町三番丁の大島宗翠さんの茶室で |
手前から葩餅と干菓子「常磐結び」、「勾玉(まがたま)」 |
6日、金沢市池田町三番丁の茶室で開かれた茶道裏千家の新春恒例の初釜で、正月の伝統菓子「葩餅(はなびらもち)」がふるまわれた。色とりどりの着物をまとった9人の客人たちが、黒いお重に入った餅を一つずつ取って回し、濃茶席の前に味わった。
白みそあんと蜜で炊いたゴボウを、薄紅色と白色の求肥(ぎゅうひ)で包み、二つ折りにした生菓子だ。「菱葩餅(ひしはなびらもち)」とも呼ばれ、平安・ 鎌倉ころに宮中で雑煮の代わりとして食べられたのが始まりとされる。餅の中心部にうっすらと浮かび上がる薄紅色が、正月らしい華やかさを添えていた。
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金沢の和菓子文化の発展に、茶道の定着は欠かせなかった。
1642(寛永19)年、加賀藩3代藩主・前田利常が、裏千家の始祖・千宗室を茶道の指南役として招き、金沢での茶の歴史が始まった。以来、前田家が振興し、茶の湯を庶民までが親しむようになった。茶の発展とともに菓子屋も増え、和菓子をたしなむ文化も育まれた。
席主の裏千家教授、大島宗翠さん(65)は「器に盛った姿が美しく、おいしければ皆、顔がほころぶ。菓子は茶会の良しあしを左右する」と話す。
この日出された菓子は、同市東山2丁目の「吉はし」製だ。大島さんのところに主に出入りしている3軒のうちの一つ。店舗はなく、注文生産だけで主に茶席用の上生菓子を製造している和菓子屋だ。
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戦後まもない1947年、老舗(しにせ)「森八」で菓子職人として修業していた吉橋美武(故人)が独立して創業した。国が砂糖や小豆を統 制していた時代、闇市などで原材料が手に入れば菓子を作るような形態だった。近所や茶会などで評判になり、電話で注文が入るようになった。当時は和菓子の 需要が大きく、茶席菓子に絞って生産、販売してきた。
生活様式が変わり、和菓子の需要が少なくなった今も、金沢市内の茶道教授などを中心に1日平均300個の茶菓子の注文が入る。2代目店主の吉橋廣修さん(60)は「金沢だからこそできるんでしょうね」。
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吉橋さんが和菓子職人になって37年。不特定多数に販売する「店売り」は控えてきた。一人ひとりの顧客の要望に向き合って菓子作りを進めるには、注文販売が最適だった。
お客さんがどうもてなしたいのか、どんな場面で菓子が使われるのか、いつも思い浮かべながら作業場に立つ。大きな茶会に向けては2カ月ほど前から相談を受けることもある。
「おまかせ」と言われれば、盛る器はもちろん、他の茶道具、床の間の掛け軸も考慮して見本を5種類ほど持って行く。「お客さんの気持ちを代弁して、菓子にして表現することが菓子屋の務め」だ。「色を濃くしてほしい」「皮はもう少し硬めに」。細かい要望にも応えていく。
「気持ちを表現した形がお菓子になる。菓子もまた、茶道と同じで一つの『もてなし』の心です」
葩餅は「シンプルな分、餅やみそ、ゴボウの軟らかさの調和が大切」と吉橋廣修さん。税別で1個300円。他に練り切り菓子は1個250円~。電話での注文生産のみ受け付ける。3、4日前までの予約がおすすめ。吉はし 電話076・252・2634
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