中国茶メモ
金獎惠明(きんしょうけいめい・浙江省)
恵明寺というお寺で作られていたことから、「恵明茶」とよばれていた銘茶。
1915年のパナマ万博で、ゴールドメダル(金獎)を取ったことから、この名になった。
深い緑色の茶葉に、白い芽が混じっている。素直な感じのお茶で、濃くいれると日本のお茶と似た感じになる。
普通には、少し落ち着いた雰囲気のするお茶で、フローラルな香りも感じられる。
豊かな趣がある雰囲気で、甘さも残る。
おいしいお茶で忘れられているもの
2008年01月25日
中国茶評論家・工藤佳治
――茶農家、茶師、消費者。そしてもう一つ
クリスマス、1月1日を過ぎると、中国の街はいっせいに「旧正月」に向けて走り出す。浮足立つという方がぴったりの表現かもしれない。今年の旧正月は2月7日。あと2週間である。
写真は、上海の大型スーパーや街角の風景だが、スーパーにはお正月を飾るグッズのコーナーが出来る。前回紹介した「福」の貼り紙も見られる。全体に「赤」が基調なので、そのコーナーだけは派手で、華やかになる。一層、お正月に向けての気分が高揚してくる。
街にも、ネズミの飾り付けが登場してきた。日本では、子年はすでにスタートしたが、中国ではこれから。繁華街が、かわいらしいネズミでいっぱいに なってきている。飾りつけられたネズミは、なぜか「金色」も多い。お金が集まりそうな感じである。そして、どのネズミも痩せていない。今の中国を表すかの ように、元気で豊かなネズミに見える。経済の隙間風が吹く日本から見ているからであろうか。
新しい年になり、私のサロンへ参加される方も、また新たな気持ちで「おいしいお茶」との出会いを求めて来られる。ところが、この「おいしい」がなかなかむずかしい。
まず茶樹、茶葉の栽培。つまり茶農家の姿勢や思想、技術が、「よいお茶」を生む土台になる。製茶する技術も問われることになる。茶農家が製茶まで行うことが多いが、製茶を仕事とする「茶師」が、お酒づくりの「杜氏」と同じように存在する場合もある。
どこの畑でとれたものか、どのように作られたものか、場合によっては誰が作ったものかで、良し悪しを評価されることもある。これはワインなどとも共通する。
お茶の長い歴史を見ると、ここまでロングセラーの商品として生き残ってきたのには、もう一つの要素がある。それは、消費者の存在だ。消費者の嗜好 の変化に、お茶は的確に、敏感に対応し、味、香りを変化させてきた。中国でも日本でも、生産者と消費者はそんな関係を続けてきた。それが2000年の歴史 である。
ふつう「おいしいお茶」を支える人の話はここで終わってしまう。じつはもう一人いる。が、ほとんど忘れられる。
「お茶をいれる人」の技量こそが、「おいしさ」の最終結論を決めている。おいしいお茶も、駄目な手にかかるとまずくなる。まずいお茶でも、上手な手にかかるとおいしくなる。当たり前だが、レストランのシェフは気になっても、お茶の「いれ手」が話題になることはない。
ほとんどの場合、消費者がいれ手であるからかもしれない。でも、主婦の料理名手は話題になるが、お茶いれ名手は聞いたことがない。
そのうえ中国では、ふつうはコップのような器に茶葉を入れ、お湯を注いで、好みの濃さでその器から直接飲んでいる。全てが自分で完結する作業だから、なおさらである。
しかし中国映画では、最後に流れる制作スタッフの字幕に、「お茶いれ係」が名前入りで載るという話を聞いたことがある。制作の間、お茶をいれ飲む ことが十分に意味を持ち、その担当への評価が表現されている。一方、日本の会社での軽蔑を込めた「お茶汲み」は、その役割すら日本では死んでしまった。武 家社会における「茶坊主」も、決して良い響きで使われることはない。
「おいしいお茶」に出会う近道は…。それは、中国でも日本でもそして世界で共通であろう。「お茶いれ名人」にいれてもらうことである。家庭の中に もいるはずだし、レストランを選んで食べにいくように、「お茶いれ名人」のお茶に会いにいくことだ。それには、評価と情報が流れる仕組みが必要だが、中国 にも日本にも未だにその気配はない。
次回は、「いよいよ過熱、プーアル茶ブーム。その行く先は」(予定)です。
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