2008年2月8日 星期五

いよいよ過熱、プーアル茶ブーム。その行く先は

いよいよ過熱、プーアル茶ブーム。その行く先は

朝日新聞プーアル(普●)茶は、古い時代の茶葉の形状が残されたお茶である。お茶は、明代までは茶葉を固めたものが主流であった。日本にお茶が伝わった時も「団茶」と呼ばれ ...


2008年02月08日
中国茶評論家・工藤佳治
――バブルは必ずクラッシュする
 プーアル(普●)茶は、古い時代の茶葉の形状が残されたお茶である。
 お茶は、明代までは茶葉を固めたものが主流であった。日本にお茶が伝わった時も「団茶」と呼ばれたように、固められたお茶だった。
 いれ方は、宋代以前は茶葉を崩して煮出すいれ方が主流であった。宋代に入ると、崩した茶を茶臼や薬研のようなもので粉にし、茶碗に入れ、お湯を注ぎササラで攪拌して飲むことが主に行われるようになった。この時代に日本にお茶が伝えられたので、茶道でのお茶のいれ方となって残っている。 明の初代皇帝・洪武帝が、茶を固めるために労働力が過重になるので、この製法を禁止する令を出したことから、茶葉は「散茶」と呼ばれる現在のリーフの状態で作られることが主流になっていく。しかし、雲南省、湖南省、湖北省などでは、固められたお茶(「緊圧茶」などといわれる)が現在まで残ってきた。
 雲南省で作られるプーアル茶は、最近まで香港を中心に常飲されていた。ほとんど「散茶」が使われてきた。香港以外では、お茶好きのマニアが飲むくらいで、ヴィンテージを好む傾向もあり、「陳年もの」の緊圧茶が珍重がられていた。
 2006年、2007年と2回にわたってこのコラムで「プーアル茶ブーム到来か」、「プーアル茶高騰」と予測、レポートしてきたが、いよいよ「過熱」まできた。
 香港以外で見ることすらなかったプーアル茶が、北京、上海などの都市部の茶舗に登場し始めたことまでは以前レポートした。このところ都市部茶舗の陳列棚は、プーアル茶が過半のスペースをとり始めてきた。問屋機能もはたすお茶市場の店舗は、もっとすごいことになっている。緑茶を扱っていた店が多かったが、緑茶は隅に追いやられ、棚はほとんどプーアル茶の餅茶(緊圧茶の中で、写真にあるような円盤型に固められたお茶)で埋め尽くされてきた。軒並みそうである。
 対応するように工場も増え続け、製品の種類も増加の一途である。
 この「過熱」の源は、二つあると考えられる。「健康志向」と「投機志向」である。どちらも、「豊かさ」とは切り離せない。この過熱も、中国の成長エネルギーを象徴するものの一つといえる。
 中国の「お茶健康ブーム」は、5年ほど前にあった。「苦丁茶」のブームである。主要な都市のスーパーや茶舗に特設の売り場が出来、人だかりで押しのけて買うようなすごさだった。広東省や海南省で古くから飲まれてきた「富丁茶」(別称「苦丁茶」「一葉茶」)。加えて10年ほど前市場に出た小さい葉の「苦丁茶」。古くから漢方薬として使われてきたものである。いずれもお茶の葉ではない。強烈な「苦さ」のお茶である。
 「健康ブーム」の変わり身が早いのは、世界共通である。今、特設会場はとうに消え去り、茶舗などでも置いてない店が多くなっている。
 とすると、「健康によいお茶・プーアル茶」ブームは、そろそろ終わってもおかしくない。が、予想するにもう少し続く。もう一つのブームの源、「投機志向」があるからだ。裏づけるように、陳年のプーアル茶は、中国マネーの伸びとスライドするように、今も高騰を続けている。
 中国の兵書『三十六計』の計の一つに、「物極必反」(もの極まれば必ず反する)とある。歴史が教えるように、プーアル茶バブルは必ずクラッシュする。「プーアル茶ブーム」も同時に終焉する。
 クラッシュは何時であろうか。答えは「中国マネーがクラッシュする時」。歴史はそう教えているが、あなたは「北京オリンピック後」説を取りますか、「上海万博後」説を取りますか。
 次回は、「美人をもっと美人にする」(予定)です。
●はサンズイに耳
中国茶メモ
千両茶(せんりょうちゃ・湖南省)
 旧正月(春節)なので、縁起のよさそうなお茶を探してみるとこれがあった。
 正式名は「花磚茶」。大きく固められたお茶である。長さ約160センチの円柱形をしているお茶。外装は、竹で編んである。本体は木材のように見える。崩して飲む。最近、写真にあるような小型(長さ約60センチ)のものも出来た。
 「千両」は、じつはお金を指しているのではなく、重さを指している。約37キロである。身長、体重で考えると、痩せた人間くらいである。
 陳年ものも珍重され、50年物などは高価に売られている。
 飲み口は、古い蔵に入ったような陳年の香りが感じられるが、意外に喉越しはよく、まろやかで甘さが残る。想像するよりもずっと飲みやすい。

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