2014年5月19日 星期一

茶発祥の地で献茶・供養 吉野ケ里町の霊仙寺跡、栄西禅師しのぶ [佐賀県]


茶発祥の地で献茶・供養 吉野ケ里町の霊仙寺跡、栄西禅師しのぶ [佐賀県]
2014年05月19日(最終更新 2014年05月19日 09時40分)
お茶を供えて栄西禅師をしのぶ関係者
お茶を供えて栄西禅師をしのぶ関係者
日本茶の発祥の地といわれる吉野ケ里町松隈の霊仙寺跡で18日、茶の栽培技術を広めた臨済宗の開祖・栄西禅師の功績をしのぶ「脊振千坊聖茶まつり」があった。
  脊振山の中腹にある霊仙寺跡は、栄西禅師が1191年に中国・宋から持ち帰った茶の種をまいた地とされる。後継者不足などで衰退していた茶栽培を再興して 地域おこしにつなげようと、1989年から毎年5月の茶摘みの時期に合わせ、地元住民らでつくる実行委員会(内田新会長)がまつりを開催している。
 この日は、多良正裕町長やJA関係者など約40人が参加。地元の茶道愛好会による献茶や供養のほか、参加者に抹茶が振る舞われた。内田会長は「先祖の偉業に感謝し、これからも茶文化を継承していきたい」と話した。
=2014/05/19付 西日本新聞朝刊=





霊仙寺跡(吉野ヶ里町)

霊仙寺跡(吉野ヶ里町) 平安時代から中世にかけて山岳仏教の中心であった霊仙寺(りょうせんじ)。和銅2年(709年)、元明天皇の勅願寺として湛誉上人が開山したと伝えられて います。山険しく絶景に恵まれた霊地に叶ったところで、幾多の名僧が修行したところです。九州でも代表的な寺でしたが、現在では江戸時代に建立された乙護 法堂(おとごほうどう)を残すのみです。また、建久2年(1191年)宋より帰朝した栄西禅師が茶の種を持ち帰り霊仙寺の西の谷の石上坊の庭に捲き、あわ せて茶の製法を伝えたことから「日本茶樹栽培発祥の地」と言われています。

●交通
 JR駅からの場合…JR吉野ヶ里公園駅からタクシー利用で30分、霊仙寺駐車場より徒歩10分
 マイカー利用の場合…長崎自動車道東脊振I.Cから20分
●駐車場 有(無料)
●境内自由
●問い合わせ先 吉野ヶ里町商工観光課 電話 0952-52-5111

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