奈良)重~い茶碗にありがたみ 西大寺で大茶盛式
古澤範英
2014年4月13日03時00分
地域ページ トップ 奈良市の西大寺で12日、抱えるほど大きな茶碗(ちゃわん)でお茶を飲む大茶盛式があり、訪れた人たちは800年近く続く伝統を味わった。
僧侶が特大の茶せんを回すと会場に抹茶の香りが漂い始めた。直径約40センチの大茶碗の重さは5~6キロほど。参拝者は1人で持ち上げたり、左右の人に支えてもらったりしながらゆっくりとお茶を味わった。
鎌倉時代に寺を復興した叡尊(えいそん)上人が、当時貴重だったお茶を境内の神社に献上し、残りを参拝者にどんぶりなどでふるまったのが由来とされる。大和郡山市の山田恵さん(58)は「重くて腕がしびれそうだったけどありがたくいただきました」と話した。13日も午前9時~午後3時に開かれる。問い合わせは西大寺(0742・45・4700)へ。(古澤範英)
伝統ずっしり大茶盛…奈良・西大寺
奈良市の西大寺で15日、「大茶盛式」の初釜があり、参拝者らが直径約40センチ、重さ約5~10キロの特大茶わんで抹茶を味わった。寺を再興した鎌倉時代の僧・叡尊が、茶をどんぶりや水がめで参拝者に振る舞ったのが始まりとされる。茶席の唯一の作法は、茶わんを落とさないこと。僧侶が特大の茶せんやひしゃくを使って点てた茶を、参拝者らは周囲に支えてもらいながら茶わんを抱え、口にした。奈良県田原本町の主婦山本康子さん(72)は「ずしりと重い茶わんに式の伝統を感じました」と話していた。
(2013年1月15日 読売新聞)
2010
大茶盛:初釜に歓声 奈良・西大寺
鎌倉時代に同寺を中興した僧、叡尊(えいそん)が、正月の法要の後、寺の鎮守社に献じた貴重な茶を多くの参拝者に振る舞ったことに由来する。戒律で「酒盛」ができない僧たちが茶で宴会をしたため、「茶盛」の名がついたという。
茶席では、僧が長さ約40センチの特注の茶せんを使い、茶わんに5人分の茶をたてた。参加した人たちは、顔がすっぽりと入る茶わんを歓声を上げながら口元に運んでいた。【花澤茂人】
奈良市の西大寺で15日、特大茶わん(直径約40cm、重さ約5kg)で抹茶を回しのみする「大茶盛式」の初釜が開かれました。鎌倉時代に寺を復興した
2009/4/16
奈良
なるほドリ:大きな茶わんを使った茶会、あれって何? /奈良
◆大きな茶わんを使った茶会、あれって何?
◇西大寺で行う大茶盛式 鎌倉時代・叡尊の伝説が起源
なるほドリ この前、どこかのお寺で顔が入っちゃうほど大きな茶わんでお茶を飲んでいる人たちを見たよ。茶席って堅苦しい印象があったけど、みんな笑顔で楽しそうだったんだ。記者 それは、奈良市の西大寺で11日と12日にあった「春の大茶盛式(おおちゃもりしき)」ですね。大茶盛式は新春の1月と秋の10月にも開かれています。
Q 他ではあまり見ない珍しい行事だけど、どんな由来があるのかな。
A 鎌倉時代、衰退していた西大寺を復興した叡尊(えいそん)というお坊さんがいました。伝説では、延応元(1239)年の1月、国家安泰などを 祈る法要の最後の日に、叡尊が寺の鎮守社である八幡神社にお礼のために参拝し、当時はとても貴重だったお茶を献じました。さらに叡尊は、多くの参拝客にも お茶を振る舞ったのです。貴重なものですから、庶民は専用の器など持っていません。持ち寄ったどんぶりなどで飲み回しました。それが形を変え、今に伝わっ ているのです。
Q だからあんなに大きな茶わんを使うんだね。ところで、「茶席」や「茶会」という言葉はよく聞くけど、何で「大茶盛」っていうのかな。
A お坊さんたちにはいくつかの守るべき約束(戒律)があります。その一つに「お酒を飲んではいけない」というものがあるんです。だからお茶で宴会をしました。それが「酒盛(さかもり)」でなく、「茶盛」なのです。
Q 茶わんのサイズはどのくらい?
A いろいろですが、中には直径約40センチ、重さ10キロ近いものもあるそうです。茶わんだけでなく茶せんも約40センチと、すべてがびっくりするサイズですよ。
Q ところで、叡尊さんってどんな人だったの?
A 現在の大和郡山市の出身で、戒律を守ることが仏道には大切であることを訴え続けたお坊さんです。多くの信者から寄進されたお金をためて、たく さんのお寺を復興しました。弟子の忍性(にんしょう)と一緒に、貧困や病気に苦しむ人々の救済にも尽力しました。当時としては驚異的とも言える90歳近く まで長生きしたんですよ。
大茶盛式には、叡尊が生涯貫いた福祉と戒律の精神が詰まっているんです。<回答・花澤茂人(奈良支局)>
2008
「大茶盛式」の初釜・・・奈良・西大寺
奈良市の西大寺で15日、直径36センチ、重さ約7キロの特大茶わんで薄茶を味わう「大茶盛(おおちゃもり)式」の初釜が開かれた。参拝者は、隣の人に支えてもらいながらお点前を堪能した=写真。
鎌倉時代に同寺を復興した僧・叡尊(えいそん)が、国家安泰などを願って茶を振る舞ったのが始まりとされる。当時、茶は薬として重宝され、庶民が水がめや、どんぶりで茶を回し飲んだという。
茶席では、僧侶が長さ60センチのひしゃくや、高さ36センチの茶せんを使って豪快に茶をたて、4、5人で回し飲んだ。東京都板橋区、会社員佐藤修子さん(28)は「茶わんの重さで手が震えましたが、おいしかった」と話した。
2008年1月15日 読売新聞
どんぶり 0 【▼丼】
(1)〔「どんぶりばち」の略〕茶碗(ちやわん)より深く大ぶりで厚みのある陶製の鉢。
(2)「どんぶり物」に同じ。
(3)職人などの腹掛けの前部に付けてある物入れ。
(4)更紗(サラサ)・緞子(どんす)などで作った大きな袋。江戸時代、若い遊び人などが用いた。
(2)「どんぶり物」に同じ。
(3)職人などの腹掛けの前部に付けてある物入れ。
(4)更紗(サラサ)・緞子(どんす)などで作った大きな袋。江戸時代、若い遊び人などが用いた。
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