By さんのすけ
この建物のことを『茶堂』と呼んでいます。 今回の高知遺産は、梼原町の茶堂をナビゲートして行きます。 3_2 茶堂のルーツは、江戸時代にさかのぼります。 津野山郷の領主・津野氏の霊を慰めるために、
梼原町の茶堂
高知市から車で西へおよそ1時間半、四国カルストと千枚田で有名な梼原町。梼原町の集落には、この様な建物が点在しています。
この建物のことを『茶堂』と呼んでいます。
今回の高知遺産は、梼原町の茶堂をナビゲートして行きます。
茶堂のルーツは、江戸時代にさかのぼります。
津野山郷の領主・津野氏の霊を慰めるために、江戸時代の初め1604年から、
領内の各所に建立されたものです。
茶堂が建てられている場所は、集落の中心部では無く、集落同士の境界、
街道沿いに位置する物が多い様です。
それでは、茶堂の特徴をいくつかご紹介して行きましょう。
まずは、正面、そして左右両面に壁が無く、三面吹き通しとなっています。
また、数人が腰をかけてくつろげるスペースも有ります。
そして、何よりも茶堂の特徴なのが、祭壇が設けられている事です。
弘法大師や津野氏などの石像や木像などが祀られています。
身近な信仰の場としての役割を果たしていた様です。
そして次第に、茶堂のある集落を訪れる旅人をもてなす様になり、
信仰の場から交流の場へと役割は移って行きました。
昭和30年代まで、夏の間、集落の人々が持ち回りでお茶番を担当し、
そこを通る人なら誰であろうとお茶の接待をしていました。
この様に茶堂は、文化交流の窓口、情報交換の場として、
重要な役割を果たしていた様です。
また、茶堂は、それぞれの地区の集会所のような役割も果たしています。
農作業に行く人の休憩や子供達の遊び場所、
集落の共同作業を行う際の道具の保管場所にもなっています。
梼原町内には、現在13棟の茶堂が現存しています。
茶堂は、1軒1軒大きさや間取りが違っており、地区毎に特色があります。
こちらは、田野々にある茶堂です。正面全体に祭壇が設けられています。
茅葺き屋根の茶堂の中を、少し覗いてみましょう。
中は、この様に木と竹で組み込まれています。
そして、外から見るよりも、高さを非常に感じます。
こちらが、中の川の茶堂です。茅葺き屋根で天井が無く、
化粧屋根裏になっており、祭壇には、石像が2体祀られています。
こちらの茶堂は、梼原町の中で、
唯一創建当時から場所が変わっていないと言われています。
ひっそりと山奥に佇む茶堂。
そこは、かつて、人や物資の往来が激しく、文化交流の拠点でもありました。
現在は、以前の様な賑わいはありません。
しかし、今も変わらない優しさで迎えてくれる地域の人達がいます。
先祖を敬い、人を大切にする『おもてなしの心』は、
今も深く地域の人々の心に根付いています。
沒有留言:
張貼留言