栄西 | |
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永治元年4月20日 - 建保3年7月5日[1] (1141年5月27日 - 1215年8月1日) | |
号 | (道号)明庵 (房号)葉上房 |
諡号 | 千光国師 |
尊称 | 栄西禅師 |
生地 | 岡山 |
没地 | 鎌倉?・京都? |
寺院 | 聖福寺・建仁寺 |
師 | 虚庵懐敞 |
著作 | 『誓願寺盂蘭盆縁起』・『喫茶養生記』・『興禅護国論』・『一代経論釈』 |
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近くの祇園東で恒例の「祇園をどり」(11月1~10日)が開催中ということもあるのだろう。大勢の観光客でにぎわう花見小路を抜け、突き当たりに建つ寺の門に一歩踏み込む。すると、これまでの騒々しさがウソのように境内は静かなたたずまい。
建仁寺は鎌倉幕府の二代将軍、源頼家の庇護の下で元久2(1205)年に建立された。開山の栄西が留学先の中国から茶種と喫茶の風習を持ち帰り、自ら著わした「喫茶養生記」の中では、茶は心身を健康にするための妙薬とも書いている。
栄西以後、全国に茶は広まる。京の茶処として知られる宇治へは、栄西から茶種を譲り受けた栂尾(とがのお)・高山寺の明恵(みょうえ)を経てのこと。栄西 の誕生日の4月20日に建仁寺で行われている四ッ頭(よつがしら)茶礼は禅に伝わる茶礼の持つとも古い形として、今に伝えているという。
境内の茶の生け垣も栄西と茶の関係を意識してのことだろう。法堂(はっとう)など堂塔の周囲に植えられ、小さい花はかれんそのもの。しかし濃い緑の分厚い葉の中に埋もれているため、花に気づかない参拝者も多い。
近くの祇園東で恒例の「祇園をどり」(11月1~10日)が開催中ということもあるのだろう。大勢の観光客でにぎわう花見小路を抜け、突き当たりに建つ寺の門に一歩踏み込む。すると、これまでの騒々しさがウソのように境内は静かなたたずまい。
建仁寺は鎌倉幕府の二代将軍、源頼家の庇護の下で元久2(1205)年に建立された。開山の栄西が留学先の中国から茶種と喫茶の風習を持ち帰り、自ら著わした「喫茶養生記」の中では、茶は心身を健康にするための妙薬とも書いている。
栄西以後、全国に茶は広まる。京の茶処として知られる宇治へは、栄西から茶種を譲り受けた栂尾(とがのお)・高山寺の明恵(みょうえ)を経てのこと。栄西 の誕生日の4月20日に建仁寺で行われている四ッ頭(よつがしら)茶礼は禅に伝わる茶礼の持つとも古い形として、今に伝えているという。
境内の茶の生け垣も栄西と茶の関係を意識してのことだろう。法堂(はっとう)など堂塔の周囲に植えられ、小さい花はかれんそのもの。しかし濃い緑の分厚い葉の中に埋もれているため、花に気づかない参拝者も多い。
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